天国はどこにある

「ねえ、ウルフ」
今日も口開けの客はボーヤだった。

そういえば、ボーヤはこのところ自分以外の客を余り見ていない。
ボーヤにとっては、その方がよいがお店の店主であるウルフはそうはいかないだろう。

「今日から、俺は、この世が天国経の教祖になることにしたよ」
「また、変なこと考えてるな」ウルフは、おでんを温めながら相手をしてくれた。

「そう、天国の絵を見たことあるけど、みんな裸でのんびりしているんだよ。
明るくて、あったかそうな場所で。
食べ物も美味しそうな感じだよね。
地獄の絵は、殺し合いだよね。血と肉が飛び出していたり、痛そうだったり、苦しかったり」

「ほい、お待ち」今日はおでんである。不思議とウルフの作る料理は上手い。酒飲みのせいか
酒にあう。

「楽しかったり、嬉しかったりすることが天国で、苦しかったり、痛かったりすることが地獄だね。
だから、生きている間に楽しめればずっと天国にいられるようなもんだよ。」

「それがそうもいかないだろ」ウルフ。
「言ってることはわかるけどな」ウルフは苦労人の顔を滲ませた。

ウルフは高校を卒業すると青森から家出のようにして、東京へやってきて、演劇の世界に身を投じた。
そこで仲間ができて、ギターも上手かったので、バンドなんかも作って、今はバーのオヤジだ。
東京に上野駅経由で夢をもってやってきた「ああ、上野駅」人種である。

ボーヤは、物凄いヒラメキだと信じて話したことが、あっさりとかわされて余り
面白くなさそうだ。
「ウルフ、そう思わないか。生きている間、エンジョイすること、それが人生だよ。
フィールド・オブ・ドリームスの中で、夢が叶う場所が天国だといってたけど。
そうか、フィールド・オブ・ドリームス教にしようかな」

「お前も暇なこと言ってるな」

その時、扉が開いて机さんがやってきた。
「よお、ボーヤ。一人?」

「机さん、今晩わ」
「何にする」ウルフが尋ねる。
「とりあえず、ビールかな」

机さんは、フリーのカメラマンである。
「机さん、俺、今日からこの世が天国教の教祖になったから。入る?」

「この世が天国?そう思えるお前は幸せだよ。マスター、俺もおでん」
「でも、机さん、天国って人間が作ったものだと思わない?」
「そんなことどうでもいいよ。酒のめればそこが天国。ねえ、マスター。」

ボーヤは、自分の凄いアイデアが受け入れられないのが不満である。もしかすると
みんな頭が悪いんじゃないだろうかと考え始めている。

「天国はどこにあるって」机さんが改めて尋ねた。
おっと遂に判ったか、ボーヤは口をつけていたグラスを離してこういった。
「天国はここにある」


風のように生きる

ボーヤにとって今日は、特別な一日になった。

偶然に見かけたポスターにつられて、薬師寺如来像を見に国立博物館に行って来たのだ。
ボーヤにとって、その出会いは大げさに言うなら衝撃的なものであったらしい。

日が沈むのを待ってココモにやってきた。
こういうことを話せるのはこの店しかないと思っているようだ。

「ねえ、ウルフ」
とボーヤ。
「仏教って凄いよね」

「どうしたんだ、なんだよ、いきなり。お前が言うと凄いなあ」ウルフがチューハイを作りながら
微笑んでいた。

「何から言っていいんだかわからないけど、今日、薬師如来像を見たんだよ。その時に一緒に
玄奘三蔵法師の絵と今に到るお坊さんの修行の様子がビデオで流れていたんだけど、それを見たときにあっこれだ、と感じたんだよ」

「ハイヨ」ウルフは、チューハイを差し出した。一緒にウルメイワシが皿に三匹乗せられていた。

「で、何だって」
「昔、TVで偉いお坊さんが、自然は偉いですな、て言ってたんだよ。建長寺って言ったかな。そこの偉いお坊さん。自然は誰にも見られず、誰からも褒められず、そんなこと関係なく、春が来れば花を咲かせ、散らせ、また翌年花を咲かせる、誰にも見られないのにそうやって自分の道を歩み続けている、とかなんとか言ってたんだけど、その時は、何か、当たり前のことを偉そうに言っているように思ったんだけど、今日、それがわかったんだ」
「何が、わかったって」ウルフが少し関心を持ったようだ。

「三蔵法師がガンダーラに行ったのは、そのことを知るためだったんじゃないか。要するに、人も花のように生きるというか、驕らず、嘆かず、怒らず、天が回るごとくただ運命に従って生きることの大切さというか、尊さというか」
「難しいな。けど言ってることはわかるぞ」とウルフ。

「そう。風が吹いたり、雨が降ったりするのと同じようなものじゃないか、人生は。そんなことを感じたんだ。こういう生き方が一番尊い生き方じゃないか。お坊さんは、毎日毎日、毎年毎年、暦どおりに季節のように暮らしているんじゃないかな。決まった通りに生きていると、それは生きているとか死んでいるとか、悲しいとか楽しいとか、そういう感じじゃなくて、ただ生きる、それが大切なんだという気がしたんだ。」
「解脱したのか」
「解脱なのかな。とにかく今日は、何かが体の中に電流のように流れたよ。21世紀には仏教が必要だよ。人間が自然に生きる道なんじゃないか。人間が自然の一部だということをお釈迦様説かれたんじゃないかなあ」

「お前も、いろんなこと考えるんだな。お、いらっしゃい」
ドアを開けて、新しい客が入ってきた。
水商売風の女性と客らしいスーツ姿の男だった。
話はそこで途切れた。

「何にします」
「ねえ、何にする」女性が接吻しそうなくらいに顔を近づけて聞いた。
「おりゃ、もう帰るよ」男が答える。
「そんなこといわないで、ねえマスター、ビール」
「ビールね」ウルフは、腰をかがめてビールを一本取り出して女の前に置いた。

「ねえ、機嫌直して飲んでよ」女がビールをグラスに注ぐ。
男は、それを一気に飲んで、立ち上がり
「おれは、帰る」と大声で叫んで、ドアを勢い良く開けて出て行った。
「ごめんね、マスター。つけといて」女が後を追う。

カウンターに残されたビールとコップが二つ。
仏教の話が、それに変わった。
「飲むか」ウルフからグラスを渡された。

生暖かいビールだった。
生きるというのは、風のようにはいかないものなのかも知れない。

音楽は誰のものか・3

「実はね、ウルフ」ボーヤが小声で言った。

「バカラックさんの後で、ドームにも行っちゃったんだよ」

ウルフが振り返りながら、
「ドームって、東京ドームか」

ボーヤが顔を輝かせて頷いた。

「作ろうか」ウルフが、空いたグラスを手に取った。
ここでは、大半の客がチューハイを飲む。
ウルフ自慢の隠し味が加えられているというが、その影響は微妙である。

「もう巨人戦やってたっけ」と青森県出身のウルフ。青森、上野、巨人という繋がりは、彼の中では正統化されている。
「何を言ってるんですか、セリーヌちゃんですよ、いとしのセリーヌ」

「おい」チューハイが入ったグラスがカウンターに置かれた。氷が蛍光灯の光に輝いていた。
味のついた冷水に唇を浸して、ボーヤは続ける。

「セリーヌ・ディオンじゃないですか。タイタニックでんがな」
「ああ」気のないウルフの返事であった。
「余りお好きじゃござんせんね。実はね、セリーヌ・ディオンはいいんですがね、あの客層が馴染まんですね」
ボーヤが語ったところによると、セリーヌ・ディオンが、コンサートでバッド・アニマルズの「アローン」を歌ったので、おおっと感極まったボーヤが一緒に歌いだしたところ、後方座席の若い男が「やめろ」といっているのが聞こえたそうな。
「最初は誰に言ってるのかな、と思いましたよ。俺に言ってるのか、と振り向くと若い男と女が座ってたんですよ。どうみてもお宅っぽいというか。思い出したのはJリーグの試合を見に行ったときです。雨の中を見に行って傘を差していたら、そのときもどこから伴い、見えん、とかいう声が聞こえてきたんです。周りの雰囲気で、どうも俺のことかと思って振り向いたら、何となく言ってるようなんです。そこで傘を閉じたんですけどね。セリーヌ・ディオンのコンサートのときはかまうもんか、と歌ってたんですけど、サビのところしか判らなかったんで、すぐに歌えなくなったんですけどね。いちいちコンサートで他人のやることにけちをつけるようなやからが来てるんですよ。ローリング・ストーンズのコンサートだったら、最初から最後まで立ちっぱなし、叫びっぱなしですよ。どうなってるんですかね。ああいう連中は」

「まあまあ」とこういうときにとりなすのがウルフ。
「それで、どうなった」多少はウルフも興味があるのかな、と思い返して話を続けるボーヤ。
「それで終わりですけどね。その後、ジェイムス・ブラウンの曲などやり始めて、もう会場大興奮で、そんな人間の声なんか聞こえなくなりました」
「それにしても、凄い客の数でしたよ。ドームのグラウンドの真ん中当たりに舞台があって、スタンド全部客で埋まってましたし、アリーナもありましたからね。5万人は入ってるんじゃないですかね。

「凄いよな」ウルフは、こういう話題になると東北人特有の善人気質になる。

「まあ、今が旬といいますか、バカラックも良かったですけど、セリーヌ・ディオンはオーラが出てましたね。凄い強いオーラですね。たった一人で5万人を立たせたり、座らせたり、歌わせたり、泣かせたり。スーパースターが馬鹿でかい家に住む理由がわかりましたよ。普段は誰とも会いたくないんでしょうね。俺なんか、毎日何人かと話すだけでストレスが溜まってくるんですから。あれだけのオーラを発するには、物凄い集中力がいると思うんですよ。5万人相手ですからね。コンサート終わったら、体の中、空っぽになるんじゃないですかね」

「もう一杯いくか」とグラスを取り上げる。「ホイ」とサケトバが置かれた。サケトバはこの店で初めて知ったのだが、今では好物の一つである。この当たりの肴のタイミングが絶妙だな、などとぼんやり感じている。

「ところでな」チューハイ満タンのグラスを置きながらウルフが話し始める。
「音楽っていうのは、やっぱり、その音楽を楽しんでいる人のものじゃないか」
うん、ボーヤが頷く。
「例えばだな、まだレコードもない頃、音楽をやろうとしたら、三味線弾いたり、ギターを弾いたりしたわけだよな。だから、三味線でもできないと音楽がなかったんだろうな。レコードができて、ステレオがあれば音楽が聴けるようになったんだな。美空ひばりの歌もグレン・ミラーの曲もレコードを買えば聞くことができるようになったわけじゃない。でも、美空ひばりやグレン・ミラーは誰が聞いているかは知らないんだな」
ボーヤにはウルフが言おうとしている事が薄っすらと伝わっていた。
「そういえば、バカラックのときだったけど、曲が始まって客が拍手すると、必ずサンキューっていってたな。やっぱり、自分の作った歌を好きになってくれたら嬉しいだろうな。曲はバカラックが作ったけど、それを聞いていたのは客だからね」
「まあ、そういうことかな」ウルフがギターを持ち出した。

最初は何の曲かわからなかったが、次第に「MY HEART WILL GONE」になっていった。
「こんな曲だっけ」
「うん」ボーヤは、羨ましそうにウルフの手元を凝視していた。
「いい曲だよな」

ウルフの「MY HEART WILL GONE」が続いている。

音楽は誰のものか・2

バート・バカラックを久しぶりに見たのは、映画「オースチン・パワーズ2」で、エルビス・コステロとデュエットしている姿だった。
そのときに歌われた「恋にさよなら」が、暫くの間耳元に鳴りっぱなしの状態になった。

我慢しきれずに、CDショップに行き、「グレーテスト・ヒッツ」を購入。「恋にさよなら」は聞けたが、
女性コーラスによるバージョン。
ディオンヌ・ワーウィック版が欲しかったので、もう一度CDショップに行くと2枚組みにしか入っていなかったので、それをカードで購入。さらに、「オースチン・パワーズ2」のサントラ盤を購入。
一日にしてバート・バカラックのCDを3枚購入した。

それからというもの、バカラック三昧の日々。急に沸き起こったマイブームであった。

ある日、友人と酒を飲んでいて、最近聞いている音楽の話題になった。
「バカラック」と告げると、その友人は、何故かカウンターでおでこをぶつけていた。

ローリング・ストーンズと告げるべきだったか。それとも、ボン・ジョビかU2か。
ガンズ&ローゼスか。サザンか。えっ何だったら良いっていうんだ。

と今頃になって腹が立ってきた。

クリストファー・クロスが歌った「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」もグラミー賞に輝いた「愛のハーモニー」もバカラックが作ったんだ。凄いだろ。

と段々と気持ちがヒートアップしてきた。

「凄いだろ」

「何?」
ウルフが怪訝な顔をしていた。

「バカラックが凄いかって?」とウルフ。
「えっまあ、そういうこと」
「何でボーヤが自慢するの」
「さっき、本物を聞いてきたからさ。本当に良かったよ。バカラックって80歳だって。もう日本には来ないかもしれないよ。」
「80歳か。」
「考えてみれば、中学生の頃初めて、雨にぬれてもを聞いたよ。その人に今日、初めて会えたんだな。話をするときに、いつも左手をズボンのポケットに突っ込んでたよ」

「ただね、ウルフ。生で見るというのとCDで聞くのと違いがもう一つ判らないんだ。何回もCDで聴いた曲をライブでやってくれると嬉しいけど、知らない曲が演奏されてもちょっと退屈な気分なんだよ」
「CDっていうのは、音を作ってるからな」と音楽通のウルフ。
「デジタルで録音するときに、聞き取れない音とかをちょん切ってるんだよ。だから、音だけを聞き比べても音の厚みが違うはずなんだけどな」

楽器の演奏をする人間は、誰もがそんなことを言う。しかし、明確にその違いがボーヤにはまだ判っていない。

「ところで、ウルフ。今日思ったんだけど、音楽ってさ、聴いてくれる人がいないと成り立たないよね」
「どういうことだ」
「恋にさよなら、は確かにバカラックが作った曲だし、著作権とかいうのはバカラックが持ってるんだろうけど、その曲は俺のものじゃないかと感じたんだ」
「また、何か言い出したな」
「まあね、音楽は誰のものか、っていうこと。曲を作った作曲家や演奏している演奏者のもののような気がしていて、音楽が高嶺の花だったんだな、ギターも弾けないものにとっては。ところがね、今日、バカラックがピアノを弾いたりして弾いた曲は、その曲のファンのものじゃないかなって感じたんだ」
「ファンのものね」
「ファンっていう言い方もおかしいけど、その曲を聞いた人も所有者の一人じゃないかな、上手く言えないけど」

「音楽に所有者って言うのがあるのかね」とウルフ。
「権利とかではなくてね。脳みそに刻まれた音楽は、もう消えないのだから、その脳の持ち主のものになったということなんじゃないか」
「そんなこと考えないと駄目か?」
「結構、立派なことを考えたと思ったんだけどな。アルファ波状態だったからね」

「まあ、いいや。ウルフ。恋にさよならをかけてよ」
「おっいいねぇ」

Barココモには男が二人だけ。ディオンヌ・ワーウィックが歌う「恋にさよなら」が流れていた。



音楽は誰のものか

夕方6時。バー・ココモに灯がともった。

マスター。名前はウルフ。
客が来るまでの間いつもそうなのだが、一人でギターを弾きながらTVを見上げている。
今夜もそんな姿がドア越しに見えた。

「来たな」
ギターの音色が一旦途切れた。

「行ってきましたよ、バカラック」

私の名前は、ボーヤ。かなり軽く見られたあだ名だが、これで皆に通じて
しまっているので、面倒なのでそう呼ばれると答えるようにしている。
何度か呼ばれるうちに、慣れてきて何も感じなくなってきている。
実は、阿佐田哲也の「麻雀放浪記」の坊や哲を気取ろうと思っていたのが
実際の呼ばれてみると、哲のようにはいかないことが判って狼狽しながらも
慣れようとしているところでもあった。

バカラックというのは、バート・バカラックのこと。
「雨にぬれても」「サンホセの道」の名曲で知られるアメリカの作曲家である。
ボーヤは、バカラックがずっと好きだったのを最近ようやくカミングアウトできた。
なぜできたかというと、バカラックが来日したからである。
80歳だという。
ここで行かなければ、と咄嗟に予約を入れたが、なかなかウルフにこのことが
言えなかった。
なぜなら、ウルフは、リズム&ブルース系であり、ローリング・ストーンズ系
だからである。
しかし、共通点はある。
バカラックの名曲「小さな願い」は、アレサ・フランクリンが歌うソウルフルな曲
で、ウルフも好きな曲である。
よく考えてみれば、ボーヤがウルフに好きな音楽のことで気を使う必要は
まったくないのだが、中学生の頃、ギターをやりはじめて、Fのコードが押さえられずに
やめてしまったので、ギターの超絶テクニックを有するウルフにボーヤは音楽のことに
なると、なぜか負けている気分がするのである。

Powered by FC2 Blog
ホームページ アフィリエイト レンタルサーバー FC2ブログ 専門学校
Copyright © Barココモ All Rights Reserved.